足助の町並みは、尾張・三河から信州を結ぶ伊那街道(中馬街道)の重要な中継地にあたり、物資運搬や庶民通行の要所として栄えた商家町です。重要な交易物であった塩はここで詰め替えられ、「足助塩」「足助直し」と呼ばれました。町並みの成立は定かではありませんが、安永4年(1775)の大火で町並みの大部分は焼失してしまいました。大火直後から町は再建され、今も町並みには江戸時代後期から明治末までに建てられた建物が数多く残っています。大正期や戦後の建物でも伝統的な町家の形式を踏襲するものが多く、現在まで古い町並みの景観が保たれてきました。 明治44年(1911)に国鉄中央線が開通すると、物資の輸送基地としての機能は次第に衰退しますが、その後も足助は東加茂郡の中心として歩み続けました。 |
保存地区の名称: | 豊田市足助伝統的建造物群保存地区 |
保存地区の区域: | 豊田市足助町西町、新町、本町、田町、蔵ノ前、山王及び石橋の全域並びに陣屋跡、落合、飯盛、天王、真弓、広畑、梶平、引陣、城山、岩崎、八万、後山、御所山及び今岡の各一部 |
保存地区の面積: | 約21.5ha |
選定年月日: | 平成23年6月20日 |
保存地区の区域: |
足助町並み散策ナビ (PDF:4.5MB) |
調査報告書概要版 (PDF:2.7MB) |