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足助の歴史

歴史年表

西暦 年号 足助の歴史
11世紀末〜
14世紀中頃
尾張から山田重長が足助に入り、足助氏を称する。8代重政まで領有。
1466 文正元年 足助八幡宮本殿(重要文化財)が再建される。
戦国時代 足助鈴木氏が足助城に本拠地をおき、香積寺境内に居館を構える。
1590 天正18年 鈴木氏は徳川家康の関東入国に従い、足助城は廃城となる。
1681 天和元年 本多氏が五千石で陣屋を構える。この頃に東町が本町に改称。
近世 塩などの物資を運搬した伊那街道の重要な中継拠点として栄える。
元禄
(1688-1704)
宿場的要素に加え、商業の中心地的性格が強まる。
1775 安永4年 大火により、町並みのほとんどが焼失。
文化文政期〜
明治期
多くの町家が建てられ、建造物群として集積される。
1878 明治11年 東加茂郡役所が設置され、三河地域の行政の中心のひとつとなる。
明治中期 飯田街道(旧伊那街道)が、新町の西側と田町の東側に付け替えられ、新しい街道(新道)沿いに新たな町並みが形成される。
1911 明治44年 国鉄中央線の全線開通により、物資輸送基地としての機能が衰退。その後は、在郷町としての性格がより強くなる。
大正〜昭和期 巴川両岸に数千本のもみじを植樹し香嵐渓と命名。東海地方随一の紅葉の名所として整備され町並みも賑わいをみせる。
1930 昭和5年 足助大橋の完成に伴い、県道飯田街道(旧伊那街道)は巴川左岸の現国道153号に付け替えられ、町並みは次第に主要交通路から外れる。
1955 昭和30年 東加茂郡足助町・阿摺村・賀茂村・盛岡村が合併し旧足助町となる。
2005 平成17年 旧足助町が豊田市と合併し、豊田市足助地区となる。