とよた記憶トラベル

弥生・古墳

日本列島に伝来した稲作は、尾張では弥生時代前期(紀元前500年頃ー紀元前400年頃)、豊田市域でも中期(紀元前280年頃)には始まります。
集団での絶え間ない共同作業が必要になると大きなムラができ、土地や水をめぐる戦いも始まって、金属の武器もつくられました。ムラやクニが統合されてヤマト政権が誕生すると、連合した各地の王は、権威のシンボルとして大きな墓(古墳)をつくりました。市域では、550年以降に横穴式石室をもつ古墳が200基以上つくられ、内部には葬られた有力者と共に、様々な武器や装身具、土器などが副葬されました。
その後、仏教がこの地域に徐々に浸透すると、大きな古墳の築造はなくなり、各地の豪族は新たなシンボルとして寺院を造営しました。