とよた記憶トラベル

古代・中世

人と土地を朝廷が治める律令国家が成立すると、国の下に郡・郷(当初は評・里)が置かれました。豊田市域の大半は賀茂郡に、南部は碧海郡におおむね属し、「伊保」「挙母」「高橋」「妥女」などの郷がありました。ここに住んだ人たちは、市域の地名や人名を記した木簡を添えて、税としての米や特産品などを、奈良の都に納めました。
平安時代末ごろになると、有力者が新たに開発した土地(荘園)を経営するなどして力をつけ、市域では高橋荘、足助荘などの荘園が形成されました。有力者のなかには武士となり、鎌倉幕府や室町幕府に仕えるものも現れました。そして、市域も戦国の群雄割拠の時代を迎えます。