とよた記憶トラベル
近世
桜城築城計画の挫折と七州城への移転
1749(寛延2)年に挙母藩主となった内藤家は、1756(宝暦6)年から現在の元城町付近で築城に着手しますが、度重なる矢作川の水害の影響で計画を断念しました。幻となったこの城は「桜城」と呼ばれました。
1785(天明5)年には樹木台へ城を移すことが目指され、完成したのが「七州城」です。三河、信濃、尾張、美濃、伊勢、伊賀、近江の7つの国の山々を望めたことによります。
七州城内の大手門近くには、藩士の子弟が学ぶ藩校「崇化館」が設けられました。