とよた記憶トラベル
近代
廃藩置県や殖産興業などの明治新政府による近代化政策が進むにつれ、人々のくらしは大きく変わりました。豊田市域の産業は、農業や林業を中心とし、農家の副業としての養蚕業が盛んになりました。また、製糸業、ガラ紡(綿紡績業)の繊維産業、製瓦などの窯業といった新たな産業も興りました。鉄道やバスといった交通機関や銀行なども整備されました。また、1900(明治33)年にはガラ紡工場に初めて電気が通りました。
第二次世界大戦前には、世界恐慌の影響で市域の養蚕・製糸業が衰退したことをきっかけに、トヨタ自動車工業株式会社の挙母工場が建設され、自動車のまちとして歩み始めます。