とよたストーリー
捕らわれの記憶
太平洋戦争の「捕虜第一号」 徳島県出身の元海軍少尉・酒巻和男は、真珠湾攻撃のとき小型潜水艦「特殊潜水艇」で出撃しました。ともに出撃した9人が戦死するなか(「九軍神」として英雄視され)、ただひとり生き残り、太平洋戦争における日本人初の捕虜となったため、一時期、日本ではその存在を消されていました。 酒巻は戦後、トヨタ自動車工業(株)へ入社し、のち「トヨタ・ド・ブラジル」の社長を務めました。
フォスコ・マライ―ニ イタリア人。文化人類学者。著述家。写真家。 日本では太平洋戦争中、防諜(スパイ防止)と身辺保護を目的に敵性外国人(※)の抑留が行われました(終戦時、8都道府県に626人以上)。その収容所が豊田市東広瀬町にありました。名古屋市にあった収容所が空襲を避けて疎開してきたのです。 同町の廣済寺にはイタリア人が、廣澤寺にはオランダ人が収容されました。マライーニは約2年の抑留生活のうち、1945(昭和20)年4月から9月まで一家で廣済寺に収容されていました。食糧事情など過酷な抑留生活でしたが、廣済寺へ来てからは、比較的穏やかに過ごしたといいます。長女は小説家として著名なダーチャ・マライーニです。