とよたストーリー

根室市にとっての国境標石

第二次世界大戦を経て、ロシア領となった樺太。それにともなって、日本領とロシア領を示してきた国境標石も、その役目を終えました。戦後、ロシアにあったはずの国境標石ですが、今、なぜ北海道の根室市に、収蔵されているのでしょうか?

旧樺太 北緯50度線上に設置されていた2号国境標石は、当時、北海道新聞社ユジノサハリンスク支局に勤務されていた 相原秀起氏が、戦後、再発見しました。相原氏は、国境標石をなんとか日本に里帰りさせたい想いで、前任地の根室市内の企業経営者たちを中心とする プロジェクトを立ち上げました。ロシア側と交渉を続けた末、1997年に、日本に持ち帰ることに成功しました。その後、根室市教育委員会に寄贈されたのが、この国境標石です。

幕末以降、樺太や千島列島の国境線は、いく度となく動いており、根室市は、北方領土問題を抱えています。現在も市の一部がロシアの実行支配を受け、国境が画定されていない状況にあります。日本国が、歴史上唯一作ったこの国境標石は、北の国境問題について考えるきっかけとなっています。


根室市歴史と自然の資料館 猪熊樹人

 

 

 

根室市にとっての国境標石

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