とよたストーリー

岸田吟香 ―日本で初めてがいっぱい!―

吟香、目薬を売る

江戸時代の目薬は練り薬や粉薬でしたが、吟香が目を患った際にヘボンから処方されたのは、日本にはなかった液体目薬でした。吟香は、ヘボンの治療を手伝うなかでその処方を学び、1867(慶応3)年に日本で最初の液体目薬「精錡水」を販売しました。『東京日日新聞』の主筆となった後も精錡水の販売は続け、1875(明治8)年に編集長を辞してから、銀座に精錡水調合所(後の楽善堂)を設けて、販売に注力しました。ここでは、他の薬や養生食品、書籍、文房具も販売しました。

吟香の巧みな広告戦略によって精錡水は全国に広まり、豊田市域でも販売されていたことがわかっています。

また、吟香は、慈善事業に尽くしたヘボンの影響から視覚障がい者教育に関心を抱き、その事業を起こすことを目的とする「楽善会」の書記となりました。楽善会では盲学校の設立を目指し、宮内省からの3千円の恩賜金や、寄付金を得て、1880年には「楽善会訓盲院」が築地に開校しました。同院は、筑波大学附属視覚特別支援学校の前身となりました。

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