とよたストーリー

岸田吟香 ―日本で初めてがいっぱい!―

吟香、記者になる

眼病治療のためヘボン邸に通った吟香は、そこでジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)に紹介されました。ヒコは、難破したところをアメリカ船に救われ、アメリカ領事館の通訳として帰国した人物です。吟香はヒコから、アメリカにはニュース・ペーパー(新聞)があることを聞きました。吟香・ヒコに本間清雄が加わり、3人で日本初の民間新聞『新聞紙』を1864(元治元)年に刊行しました。

その後、江戸・横浜では10を超える新聞が登場し、吟香も1868(慶応4)年に『横浜新報もしほ草』を創刊しました。そして、1873(明治6)年には、東京初の日刊紙『東京日日新聞』に主筆として迎えられました。

吟香は、1874年の台湾出兵に日本初の従軍記者として同行し、日本に記事を送りました。しかし、熱病に冒され2か月ほどで帰国することになり、台湾で取材した風俗・風土などを「台湾手稿」と名付けて同紙に連載しました。

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