とよたたんきゅうラボ
シーン(ベースに刻まれた昔から今までの人々の営みと記憶)
明治期に盛んになったお茶づくり
豊田市域における産業としての茶の生産は、1800年代はじめごろ、碧海郡花園村の寺田家が始めたと伝わります。1890年代までに碧海郡吉原などで茶業の拡大が見られましたが、1890(明治23)年に枝下用水が完成すると、茶畑の多くが水田に転換していきました。
こうしたなか、高岡村の山内純平は、1920年代までに高付加価値商品である玉露や碾茶(抹茶の原料)の生産を成功させ、効率よい乾燥装置などの技術革新も行いました。